#01

「いっちねーんせーになったーら、いっちねんせーになったーら、友達ひゃっくにんでっきるっかな」
「桜、やめなさい。恥ずかしいから」

夕焼けで赤く染まった世界の片隅。
コンクリートを這う二つの長い影は、俺達の仲を示すかのようにくっ付いて離れない。
普通、思春期を迎えた女ってのは扱いが難しくなるんだろうけど、有り難い事にうちの愛すべき妹、桜は、グレもせず未だに俺を「お兄ちゃん」と呼んで懐いてくれている。
うちは両親が共働きだから、家事を一手に引き受けている俺としては、余計な心労がなくて大助かりだ。

そんな桜も来年度から中学生。
今日は、出来上がった制服を受け取りに行って来た。
採寸日から何週間も待たされ、漸く自分の制服が手に入って相当嬉しいのだろう。
桜は先程から、上機嫌で鼻歌を歌ってみたり、紙袋の隙間から中身を何度も確認してみたりと忙しない。
あらあら。はしゃいじゃって。

「お兄ちゃん。帰ったら制服姿見せてあげるね!」
「おお。写真撮んなきゃな」
「桜の可愛さにお兄ちゃんもイチコロんなっちゃうんだから!」
「残念ながらロリコンの趣味はないんだなー。俺はもっと…こう…胸の辺りが窮屈そうな子がだな」
「サイテー」
「バカ。男のロマンなんだよ。女には分かんねーの」
「わかんなくて結構ですー」
「分かって貰わなくて結構ですー」

桜は分かりやすくプイッと顔を背けた。
はいはい。あざといあざとい。
でもまぁ、手元の紙袋をチラリと確認して頬を染めちゃう所なんかは可愛いんじゃないですか?
決して、断じて、ロリコンではないが。
妹として。そう。妹レベルが高いとは思う。
…ってか、妹レベルって何だ自分。

「お兄ちゃん、新しいお店出来てる」

桜がそう言って立ち止まるので、俺もその店とやらを見た。
看板には「cafe Grace」と書かれてある。

「カフェだな」
「おしゃれ…」

確かに、女受けしそうな…かと言って男が入りにくい訳でもないセンスのいい店構え。
これなら、俺が入っても浮く事はなさそうだ。

「今度行くか?」
「良いの?」
「ま、良いんじゃないの?入学祝いってことで」

意地悪くそう告げると、桜は不満げに「安ぅ…」と唸った。

「バカ。収入が親からの小遣いしかない俺にタカろうっての?」
「晩ご飯の材料費って名目で多めに貰ってるんでしょ?それをやり繰りしてヘソクリ貯めてるの私知ってるんだからね」
「マジか」
「でも、このカフェで一番高いもの奢ってくれたら許してあげる」

一番高いものって言っても、一等地なんかじゃなく住宅街の一角にポツンと出来た小さなカフェだ。
精々、野口英世さんにちょっと毛が生えたくらいの金額で収まるだろう。
全く、交渉上手な妹ですこと。

「はいはい。了解ですよー」
「可愛い子にご馳走出来るんだから、もっと嬉しそうにしてよね」
「…お兄ちゃんはお前の将来が心配です」

いや、正確に言うと、お前の将来の彼氏や旦那が、だ。
苦労しますよ。
こういう女の子を好きになると。
現に、たった今お兄ちゃんが巧みな交渉術によって、お財布の紐を引き千切られたんだもの。
野口さん達拉致されかけてるんだもの。
それを笑って許してやろうというのに、この子はお礼も述べず、奢る事を喜べとのたまう。
なんて事だ。

しかし、「お前には男を尻に敷くとんでもない悪女の素質があると見た」なんて、悪態をつきつつも、ちゃんと店頭に置いてある手作り感満載のチラシを手にするあたり、俺も甘いな。
チラシを開くと、ケーキの写真が数種類。
ほー。結構美味そうなケーキじゃん。
定休日は水土祝か。
のんびり営業してんだな。

「お兄ちゃん」

チラシを見ていると、桜が俺の制服の袖を引っ張った。

「何」
「猫!」

全く。
今日の桜さんは、次から次へと目移りしますね。
カフェの次は猫ですか。
少しうんざりしながら見遣ると、カフェと隣のビルの小さな隙間には、綺麗な毛並みの白い猫がいた。
トラ模様が入ってるから、アメショとか言う奴か?
子猫って程小さい訳でもないし、何処かでそれなりの年数飼われているんだろう。

「無闇に触っちゃ駄目だぞ」
「分かってるよ」

猫の前にしゃがんだ桜は不満げにそう言ったけど、絶対分かってない。
絶対、ちょっかい掛け過ぎて嫌われる。
そして、その予想は見事に当たった。
猫は鬱陶しそうに隙間から出てくると、自分の背の何倍もあるカフェの屋根の上へと飛び乗った。
これではもう触れない。

「あーあ」
「満足したか?お兄ちゃん、まだ晩ご飯作れてないから。帰るぞ」

渋る桜を急かす様に帰路につくと、数秒遅れてパタパタと足音が聴こえてくる。
追いついた桜を横目でチラリと見遣ると、またもや紙袋の中身を見て緩みきった表情を浮かべていた。
忙しい奴。

「家着いたら取り敢えず写真撮るか」

桜は嬉しそうに笑って「ちゃんと撮ってよ?」なんて言う。

「俺を誰だと思ってんだよ。写真部のエースだぞ?」
「幽霊部員のくせに」
「うるせ」



Copyright © 2013 ハティ. All rights reserved.

inserted by FC2 system